2017年07月28日記載
車内での通話して何が悪い、遠慮さえすればOK
公共の場では、様々なマナーが求められている。マナーがある理由は他人に不快な思いをさせないことが主たる理由である。つまり不快な思いをさせなければ、問題ないと解釈することができる。

面識のない他人同士が物理的に急接近する空間の代表例に通勤電車がある。首都圏においては他人との距離がゼロ化し、車内マナーの向上があらゆるところで喧伝されている

車内マナーの代表例とすれば、
・携帯電話マナー
・着座時の一人枠の遵守
・混雑時のリュックサック
・整列乗車

などが思い当たる。

このうち、車内での通話について厳しく問われているのは世界的に見ても日本だけであり、外国では車内通話は日常的に行われている。海外では車内通話より車内飲食を規制するほうが目立つ。

日本語は、多言語と違い曖昧な表現で伝えるテクニックが多い。英語でいう「not」のような言葉以外に、様々な言い回しで中間的な表現な可能な言葉が多数用意されている。

車内通話については「通話はご遠慮ください」である。通話を禁止しているわけではない。つまりある程度周りに遠慮さえすれば多少の通話は許される、と解釈できる。

このように言うと決まって「空気読めない野郎」「マナーというものをわかってないお前は最低だ」などと批判意見が出てくるだろう。だが、そもそも通話について言われるようになった経緯を考えてみると、通話という行為は、固定電話と違って、携帯電話の特性上、どうしても発声力が大きくなる傾向があり、周辺の雑音環境とともにスピーカーから自分の声が聞こえないことによって無意識に発声力が大きくなることが発端だ。

だが電話の持つマイク感度は非常によくできている。小声であっても正しく発音さえすれば通話相手に明瞭に伝わることを知っておきたい。マナーの根源は他人に不快な思いをさせないことだから、普通に発声する範囲であれば周りに不快感をもたらすことはほとんどないといえる。

しかし最近は車内通話する行為やしぐさそのものまで禁止されているかのような風潮があり、実際に何を話しているかもわからない声量であっても、通話している姿だけを見て叱りつける者さえいる。

これは周りに着座させるべき人がいないのに、健常者が優先席に座っているだけで文句を言う人たちと同じ低レベルな考えである。あくまで優先だ。札幌市営地下鉄のような専用席ではないのだ。優先なのだから該当者を見かけた時点で率先して席を譲れば良い。「優先席」というごくごく簡単な日本語の意味すら解釈しようとせずに、ガラガラの車内で優先席に座っている健常者をみるだけで苦言を呈する輩は、むしろ苦言返しをさせていただきたい。

話を戻すが車内通話も同じだ。基本は遠慮するものの比較的緊急性が高い状況ならば周りに遠慮しつつ本当に必要な時には通話はすれば良い。

世の中にはマナーという綺麗事を片手に過剰な反応を示す人が増えたように感じる。最近は耳にする機会はなくなってきたが、原発に対する過剰防衛も同じ理屈のように感じてならない。

もっとフレキシブルに生きようではないか。電車に乗車中に仕事等の電話がかかってきたら通話したらいい。要件だけ聞いて手短に抑える工夫は必要かもしれないが、電話に出ずにシャットダウン対応はやり過ぎだ。携帯電話の利便性を捨てるのは無駄でしかない。

論点はずれるが、仕事で電話する行為も時代遅れでである。プライベートだけでなく、ビジネスでも通話から文字データの通信がメイン手段になりつつある。お互いの時間枠を自由にさせる文字コミュニケーションは、これからはもっともっと拡大していく。もしかしたらビジネスでも通話そのものがゼロ化するかもしれない。

通話がどうこうと指摘することが時代遅れになりそうである。


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