2017年10月04日記載
母永眠、人生の最後の時間を考える一ヶ月だった
去る9月21日、母が永眠した。79歳11ヶ月だった。死因は慢性心不全による心肺停止である。母は若い頃から心臓の弁膜に欠陥があり、58歳に心臓の人口弁膜を入れる手術を行った。その関係で、健康な心臓を持つ人とくらべて10年あまり早く心臓の機能が停止した形となった。

いわゆる人の理想である老衰による死が平均よりも早く訪れた形だ。幸いにも人口心臓弁膜手術後の余生は比較的安定的な生活を送ることができたが、一方で心臓の退化は健常者と比べて進みが早かったこともあって、健常な同級生と比べると息切れの度合いは高く、時間を掛けて身体を動かす生活を続けている限り、見た目は普通の生活ができる状態であった。

手術を行った当時の主治医の術後の説明では、「当面の生活は問題ないが80歳までは難しいだろう」と言われていたことを思い出す。皮肉にも80歳直前で寿命を終えた形となった。

60歳を越えてからは、突如発生する不整脈と心臓機能低下によって、入退院をする生活に加え、心機能の低下によって全般的な運動量の不足から骨粗しょう症の進行も進み、腰椎圧迫骨折を3度経験、入院するたびに腰回りの筋力低下も進むマイナススパイラルに陥っていった。

そして今年6月上旬に、極度の心機能低下によって血圧が70台に低下。自分で救急車を呼び入院。その後、輸血と点滴治療、腰椎周りの筋力低下の遂行したものの、本人の自宅に戻りたい強い思いもあってリハビリを頑張ったおかげで、1ヶ月後の7月中旬に退院でき、無事自宅に戻ることができた。

しかし退院後2週間を過ぎた7月下旬、再び心不全が悪化。体内の血流不足が起因で腎不全状態に陥り、尿が出にくくなり、下半身のむくみが再発。再入院することとなった。母も今度の入院が最後になるかもしれないとの覚悟をしての再入院だった。

再入院後は、利尿剤も最強クラスを投与したおかげで3週間ほどで下半身のむくみは辛うじて解消した。しかしながら8月中旬あたりから食欲が減退、ほとんど食事が取れなくなっていった。本格的に食事が取れなくなった9月に入ってからは、母本人も私も、差し迫った死の現実について心を整理を始めた段階であった。

母は名古屋、私は東京と離れた場所での生活であったものの、私自身、幸いにして今の職場環境は、東京でも名古屋でも同様の仕事ができる環境下にあったたため、終末期は名古屋で過ごすことができ、臨終にも立ち会うことができた。恵まれた職場環境のおかげで、東京と名古屋と離れて過ごす環境下でありながら、臨終を見届けることができたことは幸運だった。

さて、人生最後を迎える終末期における症状とは一体どのような手順で死に向かっていくのか。非がんとは異なる心不全による終末期のあり方について、実際に体験した事象紹介しておく。

8週間前・・・食事量が徐々に減っていく
7週間前・・・自力で尿が出づらくなる。下半身がむくみ始める
6週間前・・・最強クラスの利尿剤で辛うじて尿排出される
5週間前・・・食事がほとんど取れなくなる
4週間前・・・食事が限りなくゼロ化する。利尿剤の効きが悪くなる
3週間前・・・自力でベッドから起き上がれなくなる、息苦しくなる
2週間前・・・自力で寝返りができなくなる
10日前・・・モルヒネ投与によって息苦しさからは解消される
8日前・・・睡眠時間が増え、言葉の発生が困難になる
7日前・・・血圧90、脈拍100~105、酸素吸入でSPO2値100
6日前・・・モルヒネ投与量増により脳が覚醒、急に元気にたくさん話出し、私も急変ぶりうに驚く。但し話の内容は別人格になったような半分以上、意味不明な会話が増える
5日前・・・血圧90、脈拍110~115、酸素吸入でSPO2値98、再び会話困難になる
4日前・・・血圧85、脈拍115~120、会話は成立しないがこちらからの声はすべて理解している。首を僅かに縦に振ってリアクションすることができる
3日前・・・血圧80、脈拍120~130、こちらからの話しかけで目と眉毛は動かすことができる
2日前・・・血圧75、脈拍125~135、たまに目を開けるが視点が合わなくなる
1日前・・・血圧75、脈拍110~140、SPO2が90~95
6時間前・・・病院から呼び出し。血圧70、脈拍135安定、SPO2が85。下顎呼吸始まる。
5時間前・・・血圧70、脈拍135からピクリとも動かない、SPO2が80。
4時間前・・・血圧65、脈拍135、SPO2が78
3時間前・・・血圧65、脈拍135、SPO2が70
2時間前・・・血圧60、脈拍135、SPO2が70
1時間前・・・血圧55、脈拍135、SPO2が65
15分前・・・脈拍110
5分前・・・脈拍90
3分前・・・脈拍70
1分前・・・脈拍50~30

呼吸停止、そして心停止。最後は見事なまでの軟着陸。臨終の瞬間は看護師も医師もいなく、母と私の2人で過ごすことができた。心停止の瞬間は緊張したが、精神的なショックは全くなかった。その瞬間の私の心情は「ようやく終わった」だった。3週間前の時点で死を受け入れる覚悟ができていたからこそ生まれる心情だったと思う。
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