2018年04月11日記載
努力を美学化していないか点検しよう
世の中には努力しても目標に到達できないことがある。身近な例でいえば不妊治療。いくら努力しても授からないのは努力の問題ではなく体質だけでなく運の要素で決まってしまう。

相手がある競争に勝つ目標も努力しても実のならないこともある。戦う相手がある限りどちらが勝てばどちらかが必ず負ける仕組みが存在する。東大合格などの目標も他受験生より上回る点数を取らなければ合格できない制限が存在するため、どんなに努力しても達成できないことはあるだろう。世の中、努力しても達成できない事柄は多く存在する。

一方、大抵の事柄は努力することで目標到達することができる。資格試験はその典型だろう。参加者全員勝ちが認められる仕組みであるなら努力は実を結ぶことができる。

・為せば成る
・七転び八起き
・若い時の苦労は買うてでもせよ
・石の上にも三年
・臥薪嘗胆
・努力は人を大きくする

日本人は特に「努力」や「忍耐」という言葉が好きな人種である。特に昭和の高度成長期からバブル時代を駆け抜けた世代はその傾向が強い。無論、努力することは素敵なことであるし否定もしない。上に書いたことわざや格言はいずれも素敵な言葉だし、事実正しい。

だが、目標達成できなかった時、努力したことを言い訳にしていないだろうか?

努力すれば達成できる目標であって達成できなかったら、それは単純に努力量が足りないか、努力の方法が間違っていることを振り返る必要がある。「努力している自分」に酔いしれ、努力したことを言い訳にしてはいけない。

目指すゴールに向かうプロセスは重要だ。だからといってゴールできなかったときの努力量を「これだけ頑張っても仕方がない」とするのは精神的な逃げでしかない。努力量が十分足りていても達成できないとすれば、それは努力の仕方が間違っていることを気づく必要がある。

今の時代、努力する方法は多様化している。たとえば机上業務で単純な繰り替し作業をすることが目指す到達点であるなら、繰り返しの作業をITをつかって自動化するための仕組みを考える努力に目を向けるべきである。作業量を努力と置き換えて美学化しないよう気をつけたい。
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