2020年06月16日記載
マスク着用とソーシャルディスタンスの両立はやめよう
ソーシャルディスタンスの目的は飛沫感染防止である。飛沫感染リスクを下げる距離とはマスクをしないで通常の会話で相手まで唾が飛ばない距離である。ところが世間はお互いがマスクを着用していたとしてもソーシャルディスタンスを保とうとする。

ましてマスクを着用してお互い黙っているなら、密着しても感染リスクはないといっていい。だが世の中は許してくれない。不安ばかりを煽るマスコミの影響もあるだろう。

電車に乗るのが怖いというのは、マスクをせずに近くでぺちゃくちゃ喋っている人を見かけた時である。しかし実際は乗客全員がマスクをして、しかも黙って静かに乗車する通勤電車。果たしてどこまで感染する可能性が高いといえるのだろうか。

原発問題の安全安心報道でも霹靂したが、新型コロナウイルスによる過剰対策にもウンザリさせられる。そんな不満を解消する報道が昨日の夕方のTBS、Nスタでソーシャルディスタンスのあり方についての新たな見解を取り上げていた。

内容は、まさに先に書いたような、黙って電車に乗り、且つお互いマスク着用している環境であれば、感染リスクは低いという内容だった。

なぜもっと早くやらないのかと思ったが、それでも以前のように、過剰な感染対策ばかりを取り上げていた姿勢から変わりつつあるのは、少しだけホッとさせられている。

イギリスではマスクは医学的効果がないと判断してマスク着用に否定的だったが、方針転換している。マスク着用の意味は、自分が発声する際に飛び散る飛沫を抑えるのが最大の目的であり、第三者からの感染予防目的な二の次である。

つまり会話するならお互いがマスク着用する、マスク着用しないのならソーシャルディスタンスを保つ。この選択が大切なのである。

これから気温は高くなる。新型コロナウイルスは確実に衰弱していくのは明らかである。感染しても攻撃力は時間とともに弱体化に向かうのは、コロナウイルスの歴史が証明しており、新型もおそらく同じ道をたどるだろう。

自粛疲れとともに、警戒疲れになるタイミングを含めて、流行勃発から半年という時間が一つの節目になる。

・話をする時はマスクを着用する。
・マスク着用できない環境から一定の距離を保つ。
・顔を触る前にアルコール消毒。
・自宅に帰ったら手洗いする

これだけで対応できる。

他国民と比べ、過剰な不安心をもつ我が日本人。目に見えない存在ほど過剰に反応する。

過剰心理だからこそ結果的に法的拘束力なくても、自ら自粛生活を守り、企業による過剰対策とのダブル対策で累計感染者が他国と比べて少なく済んだともいえる。

素晴らしい面と無駄な面。そろそろ新型コロナウイルスとの付き合い方も転換期を迎えてほしいところである。
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