2020年07月15日記載
新型コロナに感染することで最も恐ろしいのは社会的制裁だ
SARSのケースをみて半年もあれば感染拡大は終息に向かうと思っていた。しかし蓋を開けると半年を迎える現在も地域によっては感染拡大が続いている。カリフォルニア州では再ロックダウンへと逆戻りした。

国内でも東京にいる人間は来るなと言わんばかりのGoToキャンペーン批判合戦が繰り広げられる。コロナ恐怖は健在だ。それでもみんな薄々感じ始めている。もしかしたら弱毒化しているのかもしれないと。

まだ証明もされていないし、ウイルス変異は確認できていても、どのような影響力を持っているかは解明されていない。重症者が減っていても、新規感染者が若者が多いからとする考え方もある。すべては推測の域を脱しない。

それでも歴史を紐解けば、感染力が増しながら弱毒化する傾向にあるのがウイルスの特徴でもある。そして感染しても死亡リスクが下がっていき、いずれ人々の記憶から忘れされていく。こんなシナリオを私は描いている。

とはいえ、現実はまだ油断を許さない状況である。そして無症状であっても感染することが悪として世間の視線が注がれる。

特に企業活動で感染者が出ると社会から厳しい目で見られてしまう。ウイルスはモノに付着しても何もしなくても数日で消えていくものの、感染者が立ち寄った場所は消毒しなければ、世間は許さない環境がある。

小さな企業で感染者が出てしまうだけで、場合によっては取引中断や営業活動拒否などの副次的被害にも拡大する。当人の体調がどうだなんて誰も興味を持たない。感染者が出たことが拒絶反応として厳しい視線が注がれてしまう。

今はコロナウイルスに対する感染後の自身の体調変化に対する恐怖よりも、感染したことによって社会から注がれる厳しい社会的制裁のほうが怖いと言わざるを得ない。原発事故と全く同じ構図といっていい。

福島ナンバーを見ただけで自動車の車体に放射線物質が付着しているかもしれないと、周りから距離をとられるとか、あまりにもバカバカしいことが新型コロナウイルス騒動でも起こっている。

だから企業は過剰なのはわかっていても対策を講じていることを徹底的にアピールしなければならない。やるべきことをやっていて感染者が出ても社会から「やむを得ない」と免責を獲得しなければならないからだ。

本当の恐怖から社会的制裁への恐怖にシフトは過去も繰り返してきた。ようやく折り返し地点にたったのかもしれない。いずれにせよ、今年いっぱいは我慢しなければなさそうだ。
コラムワード検索
表示件数
ワード検索
本コラムに関する意見
Twitterにて受け付けます @megahit_jp