2020年12月17日記載
年賀状を紙にこだわる理由、適度な距離感を保てる存在
コロナ一色の2020年もまもなく終りを迎える。ワクチンの緊急使用許可で来年から世界に人の往来が戻って欲しい。もうこんな世界レベルのパンデミックは二度と訪れないでほしい。数年後に振り返って笑える時代になってほしい。

とにかく2011年とは違って、世界全体がパニックになる時代。不思議なことに危機が訪れると必ずエコが話題になるのも人間が持つ心理的な感情によるものなのだろうか。

2011年以降、エネルギー問題に関心を持ち、20年前に一度廃れた太陽光発電ブームが再来した。しかし今振り返ってみると事実上頓挫したといっていい。

今度はEVときた。エネルギー源を外国に依存する日本。原発も稼働できず、CO2を大量に排出する化石燃料を燃やして作った電気使って自動車を走らせるという。

EVが活かせる環境とそうでない環境とそれぞれ自動車の役割は異なる。一元的にガソリン車禁止する発想もコロナによる心理的要素が少なからず関連していると私は見ている。

クリーンディーゼル戦略を180度転換。突然湧き出るようにEVシフトを目指す欧州、真似るように日本。政治的パフォーマンスによる声を荒げる政治家たち。

私はこれまで日本におけるエネルギー源で目指すべきものは、個人宅の太陽光発電ではなく、発電側にたった洋上発電や地熱開発など、日本が持つ資源を川上産業に力を注ぐべきだと主張してきた。

EVも結構だが、今だからこそ水素エネルギーを主軸にした戦略を打ち立てるべきで、化石燃料を燃やして作った電気に頼る戦略は、コロナが終焉し、再び人の移動が活発になれば、いずれEVシフトの話題も徐々に鎮静に向かうのではないかと予想する。

水素エネルギーはバスやトラックも動かすことのできる力を備えている。しかし電池は個体電池が普及したとしても、電池だけでは飛行機まで飛ばせる可能性は限りなくゼロである。

残念ながら人間が地球を制圧している限り、環境破壊は着実に続いていくことになる。遅延させる努力は必要だが、原理原則は正しく認知しておく必要がある。

さて、結論のないつまらない文章を書いてしまった。気持ちを入れ替えて年賀状の準備を始めているところである。

年々、年賀状を出す枚数は減っている。それでも年賀状の価値は一定の意味があると思う。

人によっては紙のはがきから電子年賀状に変更する人も増えているが、私は昭和生まれの古い固定概念が強いので年賀状だけは紙にこだわりたい思いがある。

そもそも年賀状の価値とは、普段連絡を取り合わない人と「無事生きていますよ」と伝える存在だと思う。

定期的に連絡をとっている人への年賀状は意味がないと思っているし、まして会社関係で義理的に送付している人への送付は、事実上仕事の延長線で送付している状態となっていて、会社によっては社員同士の年賀状送付を自粛を促すところもあるぐらいだから会社としてやめようキャンペーンは良いことだと感じている。

また、電子ではなく紙にこだわるのも、普段連絡を取ることもないが、生存確認は1年に一回しておく程度の距離感を演出するには紙がベストだと思う。これが電子だと瞬間的に相手に届いてしまい、適度な距離で行う生存確認としては精神的距離が近すぎるように思う。

この味気ない感覚は昭和生まれだからかもしれないが、日本の持つ年賀状文化は時代が変化しても価値のある存在として継続していくつもりだ。
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