2021年01月18日記載
老害は自分では気づかない、学ぶことを止めてたら年寄り
口臭や加齢臭は自分では気づかないのと同様に老害になっているかどうかも自分では気づかない存在である。仮に若手から老害だと囁かれていて、自分の耳に入ってきたとしても受け入れない時点で老害病は重症化したといえる。

老害と言われる最大の理由を一言で表現すると、

「過去の成功体験を権力を使って周りに押し付ける存在」

である。

権力とは、過去の経験値を武器に周りから反論できない人事的立場を使って自分の考えを他人に強制可能な人を指す。

つまり権力がなければ老害とは言わない。これが私の老害という言葉の定義である。権力がない人はただの戯言として聞き流すだけで良いが、そこに権力があって強制力を行使するからこそ「老害」へ発展する。

話はずれるが、先週末、自宅の監視カメラを更新した。新築当時に設置したカメラが正常に作動しなくなったためだった。

監視カメラに録画された自分の映像を客観視すると「ああ、おっさんになったなぁ」と自覚させられる。自分を日頃から客観的に見る機会は本当に少ない。

外見でもそうなのだから、思想や考え方の老化現象を、自分で気づくのは容易ではない。まして老害だと周りから指摘されることは皆無なのでなおさらである。

では、老害扱いされないためにはどうしたら良いのだろうか?

私が知り得る年配者の方で老害だと感じない人と感じる人の違いを一つだけ上げるとすれば、

「学ぶことをやめた人」

である。

学ぶとは、時代変化に対して柔軟に情報を仕入れていて、過去の成功と現在の思想や社会情勢の変化に追従できている思想をもっているかが鍵を握っている。

いろんな要素があるにせよ、結局のところ、学ぶのをやめた人は老害化するといっていい。時代の推移とともに考え方は変化していく。常に学び続ける姿勢があれば、他人の意見も聞く余裕もあるし、自分の考えと異なっていても、修正するとか、一意見として多様性的に受け止めるとか、思想に柔軟になる。

学びをやめると、過去の得た知識だけですべて物事を判断しようとするし、「最近の若者はダメだ」的な発言に変化していく。

人生において、誰しも今が将来の人生と比較して最も若く、明日になれば今日の自分は過去の若い自分となっていく。

時間は大切しなければならない。昨日と同じ繰り返ししかしていないと、確実に老害化に向かっていく。

身体的な体力低下はどうにもならないが、脳みそだけは鍛え続ければ、生涯若い脳を維持することができる。脳にとっての栄養は学び続けることで価値を生む。

老害は自分では気づくのは不可能である。だからこそ、何歳になっても学び続けることを継続していきたい。
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